在宅の病理と痴人の夢

 社会の情勢が変化しても皮肉なことに自身の私生活はあまりにも代わり映えしないまま続いていく。ウイルスが蔓延していても変わらず通勤し、変わらず労働する。そして明日を憂いながら震えて眠る。ずっとその繰り返しだ。果たしてこのサイクルを断ち切れるような日は来るのだろうか。

 

 国内では不要不急の外出を控えるような風潮があるが、もともと不要不急の在宅が僕の休日の楽しみ方なので私生活のスタイルを変革させる必要がない。いつものように家で出来る可能な限り自堕落な生活を全うするだけだ。今だからこそお家で楽しめることをしようというメディアの呼びかけも、ほぼインドア趣味の僕の耳には虚しく響く。ラジオ、漫画、小説、映画……これらの娯楽に日常的に触れていると「今だから家でも出来るこういうことをしよう」というモチベーションが湧いてこない。逆にもう何もしたくなくなる。というかもともと僕は本当に何がしたいのかわからない。ハチミツが絶妙な感じに溶けたカレーライスが食べたいとかコーヒー飲んでも秒速で尿意便意を催さないようになりたいとかそういう些末な願望はあるけれど、確固とした広大な生きる目的みたいな何かを持ち合わせていないからフワフワした生き方になってしまう。だから生きる原動力を持った人間を見ると無性に羨ましくなる。

 そしてあくまで私見であるがそういうエネルギッシュに生きる人間はバリバリ自分のやりたいことに金を投資しては働き、投資しては働きを繰り返しているからあまり貯金が無いイメージがある。無論上手いことやりくりして金を多く持ちながら自分のやりたいことをやっている人間もいるだろうが、大半は貯金があんまり無い気がする。それに対して皮肉なことに、交友関係が狭く熱中出来る趣味が無いと金は自然と貯まっていくものだ。僕の場合それらに加え実家暮らしなので使用用途未定の経済的価値を持たない貨幣がどんどん蓄積していく。持っていても使わないのならそれはゼロと同じ、という論理からすればある意味僕は一文無しなのかもしれない。

 

 そんな経済的にも社会的にも一文無しの僕でもたまには外出をする、というか強いられることがある。

 先月コロナウイルスの一件があってマスクの着用が促進されたので通勤時にマスクをすることが多かったのだが、マスクと自分の口の間に発生した空間のスメルが耐え忍び難いことに気付いた。普段から歯磨きを怠っているわけでもない僕がそうなので恐らく電車内でマスクをしている乗客はほぼ全員「マスククッッッサ」と思いながら通勤退勤していたのだろう。

 別に歯磨きをちゃんとしていないわけではなかったが、最近行ってないし念のためと思い僕は歯医者を予約することにした。電話をかけて予約しようとすると「2月はもう予約でいっぱいなので3月の中旬になってしまいますね」と言われた。どうやらコロナウイルスはマスクの着用を促進させることで国民に自分の口臭を改めて自覚させる契機となっていたようだ。きっと全国的に「いやマスククッッッサ!俺の口内環境ヤバすぎ……?もしもし歯医者さん?今すぐ俺の歯垢を隅から隅までくまなくねっとり舌で舐めとってくれる嬢を自宅まで派遣してくれませんか?」「すみませんがうちでそういったサービスは提供しておりませんので……」「じゃあ普通に予約お願いします」「かしこまりました、他にオプションのご希望はございませんか?」「え、オプション?え、どっち?さっきあんなこと言っといて何だけど俺今歯医者に電話かけてんだよね?そういう特殊な店じゃないよね?」「(ガチャッ!ツー……ツー……)」「………………(ガバッ!)ハァ……ハァ……夢か……あ、もしもし歯医者さん?歯垢除去舐め取りオプションつけての検診の予約お願いします」「は?警察呼びますよ?(ガチャッ!ツー……ツー……)」みたいなやりとりが行われたに違いない。ともかく僕は3月の中旬に予約をして歯の状態を見てもらうことにした。

 

 そして月日は流れ3月中旬当日、午後にその歯医者の検診があったので午前中映画館で劇場版SHIROBAKOを観て感涙した後歯医者に寄って歯の状態を見てもらった。

 まず治療椅子に座り女性の歯科助手に口内をチェックしてもらい、「ちょっと歯と歯茎の間に垢が溜まりがちかもしんないですね~」と言われドリルでキュイイィィイイイイイィィィィィィンと歯垢を削られた。いやはや何歳になってもあのドリルは嫌なものだ。刺激されてはいけない神経が刺激されている気がする。たまに鋭利な激痛が走る時があるが、子どものように「ママアアアアアアアアアア痛いヨオオオオオオオオオオオオ」と泣き叫びたくなってくる。しかしそこはもう大人、叫び出したいのを堪え痛みに耐えながら治療を受ける。

 だんだんと痛みに慣れ、精神的に落ち着きを取り戻すと今度は別のあることが気になってきた。頭部に押し付けられ当たっているものが…………。そう、当たっているんだ…………。当たっている……。突如いきものがかりの「♪笑ってたいんだ」の曲調で脳内に再生される「当たってたいんだ♪ぼくはずっと 当たってたいんだ♪」という歌詞。いかんいかん、煩悩を振り払わなくてはいかん。何か気持ちが萎えるような嫌なことを考えよう。すると「仲良くない人間しかいないLINEグループが急に動き出してアルコールを大量摂取する目的の謎の会合を開催しようとしているから早く『行けません』という5文字を送信しなくてはいけない……ッ!」という目を背けたくなるような現実を思い出した。なんで人間はLINEグループという名の精神汚染剤を発明してしまったのだろう。LINEの創始者に対する怨恨を脳内に充満させると頭部に感じていた柔らかい感触も多少は気にならなくなった。しかし今度はいかんせんドリルが痛い。治療を開始する際「苦しかったら手を挙げてお知らせください」って言われてたけどあまりの痛みに耐えかねて手を挙げてしまいそうだった。耳に鳴り響くキュィィィィィィィィイイイィィィンという音。痛覚はしょうがないにしてもあの聞くからに痛そうな音どうにかならんのかね。それこそドリルの回転音をエミネムの楽曲に変更出来るオプションとか付けてほしいわ。それだったら辛うじてラッパー精神で乗り越えられる気がする。しかし当然そんなことは出来ないのでただひたすら我慢。あぁ~痛えなぁ~痛えなぁ~辛いなぁ~こんな我慢してんだからなんかご褒美くれよ~と注射を我慢した後にご褒美を親にねだる子どものような心境になっていると、また頭部の柔和な感触が気になってきた。やはり当たっている……。歯に当てられているドリルの他にもうひとつ間違いなく当たっているものがある……。先生、先生このままでは下半身のドリルも回転して同時二重稼働になってしまいますという文言が脳に浮かび上がってきたところでふとあることに気付いた。もしやこれがご褒美代わりではないのか……?ドリルによる痛み、それを中和させるためにチェストが頭部に押し付けられているのではないか?そうだ、これはいわばアメとムチ、患者をドリルの痛みで発狂させないように胸部が頭部に押し付けられているのだ。逆に歯科助手側から言えば私があなたの頭部に御胸を当ててやっているのだから少しは痛いの我慢しなさいよねという話なのである。つまりプラマイゼロだ。その証拠に、ドリル治療が終わった後のブラッシングケアの最中には僕の頭部に何も当てられることはなかった。ブラッシングケアはただ歯の表面をなんか匂いのするブラシで磨くだけで痛みを伴わない、確かに痛みを伴わないなら俗に言う当てつけ押し付けサービスは行わなくて良いのだ。僕はなんて愚かなんだ。危うく治療室内で稼働させてはいけないドリルを稼働させるところだった。

 その後も治療は続き、最後に院長から「今のところ虫歯も何もないので大丈夫ですよ」と言われたので僕は颯爽と歯科医院から退出した。外は間断なく重たい雨が降っていたが、対照的に僕の心は晴れやかになっていた。帰宅した後、パソコンでFANZA 白衣」と検索することが僕の虚無な日常に僅かでも彩りを与えてくれそうな気がしたから__________。

 

 

                                                                            

 

 

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