賀正

 最近ブログを書くことに意義を見出せなくなってきた。昨年は通算22件もの記事を書いたが今見返してもほとんどが大して中身のあるものではない。稲川淳二的な感覚で「辞めたいなぁ~辞めたいなぁ~なんだか仕事辞めたいなぁ~」と繰り返しているだけなので。

 

 本来ブログを書くという行為は、書いている自分自身と読者の両者にとって有意義なものであるべきだ。よく人生はインプットとアウトプットの連続だと言われているが、このブログがアウトプットの機能を果たしているとは到底思えないし、読んでいる人に何かを与えるわけでもない。

 何故私は無機的な文章しか書けないのだろうか。それは恐らく人生経験が常人よりもはるかに浅薄であり、能動的なインプットを怠っているからだろう。中身がスッカラカンな人間が捻出出来るものはほぼ何もない。インターネットの海を漂流しているだけでは駄目なのだ。井の中の蛙大海を知らずと言うように、ネットの中のオタク現実を知らず、インターネットで有為なことを発信出来るのは現実で有為なことを受信した場合だけなのかもしれない。ネット全体を否定する訳ではないが、無益なネットの使い方をやめれば必然的にネットに接する時間は必要最低限になるはずだ。現実から逃げずにちゃんと向き合い、多様な経験を積んだ人間が書くことによって初めてブログが価値を持ったものになるのではないだろうか。一年前も全く同じこと書いた気がするけど。

 人生経験談的ブログにしても知識披露系ブログにしても「インプット→著者自身の思考→アウトプット」というのが理想形であり、仲介地点に位置するブログの著者自身がスカスカであればスカスカである程にただの量産型文章になってしまう。ブログは誰が書いてもいいのであり、多様性を反映させ得る媒体となり得るからこそ、他人とは異なった独自の経験、思想が価値を持つ。そしてそのような独自の視点を持つためにはやはりインターネットから少し離れて現実でなんか行動を起こすことが必要だ。インターネットは誰でもアクセス出来る。だからこそ、自分にしか出来ない体験をすることが肝要なのだ。

 

 自己啓発本の安い受け売りみたいなことをつらつらと述べてきたが、このままでは本格的に何の取り柄もなく、ただ本能の赴くままに生きるカスみたいな生命体に成り下がってしまうという危機感が如実に沸いてきたので2020年は積極的に行動することで社会的に評価される教養ブログを書けるようになりたいと思う。まあ今日も家から一歩も外に出てないんだけど。いや、街中でナンパするVRAVの視聴は広義では外出としてカウントしていいから厳密には外出しているな。

 

 

 

 それと申し遅れたが明けま、明け、アッ、アッ………明けまし………………、私は新年が明けたことを全くおめでたいことだとは思わない。誕生日を祝われるのが嫌いな人間が一定数存在するように、私は新年を祝すのが好きではない。時の流れを感じて嫌になるからだ。

 

 

 というのは冗談で、「あなたの周囲にもこんな妙な尖り方をする痛々しい人間がいませんか?」と問いかける社会風刺的ギャグだ。

 

 文章が迷走し始めていよいよ本格的に無価値な時間を読者に与えてしまうので(もう与えているが)ここで終了とさせていただく。

 ここまで読んでくれた読者諸兄には感謝の意を込めて親戚のおばちゃんから何故か突然図書カード1000円分が送られてくるように精一杯お祈り申し上げておきます。

 

 まあ結局何が言いたかったのかというと今年もこの存在意義が曖昧なブログを暇つぶしがてらに読んでくれると嬉しいということです。

 

※このブログでは常時読者の皆様からの『何の不和もなく円満に退職出来る方法』をコメント欄にて募集しております。