代償

 カフェインに強い人間として生まれたかった。元来腹が弱い体質なのでカフェインを含有した飲料を摂取するとかなりの確率でトイレに駆け込むことになる。学生の頃は眠気覚ましにと思いレッドブルモンスターエナジー等のエナジードリンクを飲んで試験勉強をしていたが、肝心の試験当日に腹が痛くなってまるで試験に集中出来ないという本末転倒な事態に陥ることがよくあった。そうしたことがある度にもう二度とカフェインは摂取しないと心に誓うのであるが、数か月後には全く同じことを繰り返して二の轍を踏みまくっていた。

 カフェインだけでなくラーメンにおいてもそうだ。僕はラーメンが好きで学生時代よく食べており、大抵スープも飲み干していたのだがいかんせん油の量が多いので食べ終わった後は大体腹を下す。トイレの個室の中でもう二度とスープは飲まん、一滴も飲まんと心に誓うのだが一週間後にはそんなことすっかり忘れて大盛特製ラーメンを注文し気付けばまたスープを飲み干している。そしてまたトイレの個室で自らの失態を呪うという負の連鎖が生じるのだ。

 何故過去の失敗を深く自省出来ないのだろう。ラーメンという目先の快楽に目が眩み思考が麻痺してしまっているのかもしれない。これを飲んだら絶対に後悔する、と思っていてもあまりにもスープが美味そうな色をしているとつい飲んでしまう。これでは目先の欲を優先して生き続けた結果破滅するダメ人間ではないか。そんな思いが頭の片隅にありながらもスープを飲んでしまうのは、もしかしたら今日は大丈夫なんじゃ…?そろそろ油に耐性がついてきて悪影響を被らずに済むのでは…?というような自分に都合の良いエゴイズムが台頭するからである。いやはや人間とは欲深い生き物である。

 そんな自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、酒に関しても同じ事象が起きているような気がする。要は酒に弱い人間ほど酒を飲みたがる傾向にあるということだ。あくまで僕の周囲の人間の話だが。おそらく酒に弱い方がすぐに酔えて気持ちよくなれるのだろう。僕は比較的アルコールに強い方なので別に酒を飲みたいという欲求は頻繁に湧いてこない。本格的に酔うには凄まじくアルコール度数の強い酒が必要だから、なんというかまあ面倒なのである。

 結局何が言いたいかと言うとラーメンに関しても酒に関してもそれを欲するということはその真価、効能を理解しているということだ。本当のラーメンの美味さ、酒の美味さを知っているからこそたとえ後々腹が痛くなったり頭が痛くなったりしてもそれを追究出来るのだ。下世話な話だが男にとってのマスターベーションだってそうだ。行為に及んだ後は倦怠感が押し寄せてくるとわかってはいても一時の快感のために右手を動かそうとする。何かを犠牲にせずに何かを得ることは出来ないのだ。まさしく人生そのものではないか。

 

 まあ個人的には苦しんだ後にその報酬として快楽を感じるような生き方の方がはるかに理想的だけど。