生の倦怠

 相も変わらず空虚な日々を送っているうちに気付けば11月になってしまった。今年もあと2ヶ月で終わるのだと思うと「嗚呼やっぱり今年も人生に何の大きな転機も訪れないで終わっていくんだなあ」と並々ならぬ諦観の念が湧き上がってくる。

 

 一体いつになったら喜怒哀楽の楽の感情を体得出来るのだろうか。社会人になってから怒と哀の比率が高すぎる。この前仕事帰りに電車に乗っていたら隣に座っていた女子高生がおもむろにカントリーマアムを食べ始めたので「俺の空腹を助長させるような行為はお前の学校の校則で禁じられてるんだが?」と憤慨してしまった。実際その女子高生の通ってる学校の校則知らんけど。今思い返せばそんなに憤慨するようなことでもなかったが僕がそういった些末なことで立腹してしまうようになってしまったのは現代社会における労働の弊害である。知らんけど。(そういえばSNSで「知らんけど」っていうのが自分の言葉に対して無責任で適当なイメージあるからあんまり使ってほしくないみたいな意見があって、まあ気持ちはわかるし概ね同意なんだけど発信した情報をあくまで不確定なものだと伝達することはある種の誠実さを帯びている様な気もしなくはない。知らんけど。)

 

 こうしてこのまま虚ろな目で日々を浪費していくと無機的に死を迎えることになりそうなので、意義があるのかはわからないが一週間単位で自分の身に起きたことを日記感覚でここに書き残していこうと思う。レギュラー番組を持つラジオパーソナリティが一週間ごとに近況を報告するように。とりあえず今週一週間は以下のような感じだ。

 

月曜日 仕事辞めたいな~と思いながら仕事をした

火曜日 仕事辞めたいな~と思いながら仕事をした

水曜日 仕事辞めたいな~と思いながら仕事をした

木曜日 仕事辞めたいな~と思いながら仕事をした

金曜日 仕事辞めたいな~と思いながら仕事をした

土曜日 記憶不鮮明のため述懐不能

日曜日 仕事辞める方法を探そうとするも脳を回転させるエネルギーが無いため虚無化

 

 こうして見てみると実質そこら辺のホラー映画で描かれる1週間の風景より恐ろしい。全くもって生の気配が感じられないからだ。そこら辺のゾンビ映画よりゾンビ度が高いかもしれない。

 

 休日に予定がないことが多いのが倦怠感を煽る要因だと思うので何か熱中出来るものを見つけたいものだが、そう思い続けてもう半年以上経過してしまったしもともと何にも関心が持てないような淡泊人間に設定されているのかもしれない。交友関係が乏しいのも鬱々たる日々の鬱々たる部分に拍車をかけている。異性との交流も同世代の人間と比較して圧倒的に少ない。少ないというかほぼない。

 

  世の人々は社会人になったら出会いが極端に減ると言うけれども、そもそもこちとら社会人になる以前から運命的な出会いが発生し得るような人格を持ち合わせていない卑屈で陰湿な野郎なのである。これから先も大して人脈を構築出来ずに『ポル〇ノハブ』と一蓮托生して退廃的な人生を歩んでいくのだろう。

 

 

 

 中学生の頃は大人になったら今辛い分の幸福が与えられるのだという自己暗示を頼りに生きてきた。そうやって艱難辛苦を積み重ね、累積した暗澹たる過去の報酬として輝かしい未来が与えられるのだと思い込んで生きてきた。

 しかし今のところ冴えない人生に変わりはない。一寸先は闇というが、もう前に進んでも後ろを振り返っても闇しかないのである。上を向いても下を向いても闇しかない、もう広大な宇宙規模の闇に内包されているとしか思えないのである。このままではあまりに無慈悲ではないか。人生というのは悪いことがあった後には良いことがあるように出来ているべきなのだ。落とし物の財布を交番に届ければその日の夕食は好物のガパオライスが出てくるように、不良の喧嘩を仲裁した日にはコンビニで買った弁当を食べる時店員にもらった割り箸を気持ちよく左右対称に割れるべきなのだ。例示が限定的過ぎて不適切だったかもしれないがとにかく今までホアキンフェニックス版ジョーカーの軌跡みたいな人生を送ってきた人間は仕事から帰ってきた時に橋本環奈がエプロン姿で玄関口に立って迎え入れてくれないと人生の釣り合いが取れないのである。それか深田恭子が膝枕してくれる人生でもいいし川口春奈がハグしてくれる人生でもいい。広瀬すずはなんか「〇〇君はなんでこの仕事しようと思ったの?」とか聞いてきそうで精神面に悪影響を及ぼす可能性があるので、広瀬すず側から濃厚な接吻を求めてくるなら甘んじて受け入れるといったところだろうか。

 

 幸いなことに明日は祝日なのでこの下らない文章をある程度精神的余裕を持って書くことが出来た。明日の夜にはもう労働への恐怖が全身を支配しているので腕が麻痺してパソコンのキーボードを叩くことすら出来ないだろう。

 

 週休3日が労働環境を改善するための最善策だとかなんだとかインターネット上では議論が繰り返されているけれど、得てしてそういう世俗的な願望を少なからず含んだ希望は叶えられにくいものだ。台風接近してるし明日はおそらく休講だな!と思った翌日に朝起きて空を見ると快晴であるケースの多発性を考えると、結局のところ必要なのは自分が最も受け入れたくない現実を受容する覚悟なのかもしれない。

 そう、現時点ではまだ諸々の覚悟が足りないのである。知らんけど。

 

※このブログでは常時読者の皆様からの『何の不和もなく円満に退職出来る方法』をコメント欄にて募集しております。