非難と尊重

 今年はサンタさんに『中を開けると死を超越出来る四次元空間が無限に広がっている棺桶』をおねだりしたのに僕のもとにサンタさんは来なかった。自分なりに良い子にしていたつもりだったのだがもしかしたらコンビニおにぎりの包装紙を『プラスチックゴミ』ではなく『燃えるゴミ』の方にブチ込んだのがサンタさんの逆鱗に触れたのかもしれない。でも包装紙に海苔のカスが少しでも付着していれば『燃えるゴミ』の方に捨てたっていいんじゃないのか。そもそも捨て場所は『プラスチックゴミ』の方で合っているのか。コンビニおにぎりの包装紙はプラスチックから精製されているのか。セブンイレブンの商品は他社と比較したら本当に品質がやや高いのか。世の中よくわからないことが多すぎる。

 

 今年も色々なことがあったけれど、4月に新卒社会人として労働し始めてからはほぼ感情の起伏が皆無に等しかったので実質僕が今年、生の実感を持って生きた時間は約3ヵ月しかない。働き始めると当然だけど一日の大半を労働に費やすことになるから他のことに手を出す時間も労力もなくなってくる。ふとした瞬間に何か新しいことを始めてみようという気も起こりはするがやはり時間的な制約もあってなかなかモチベーションが持続しないし集中も出来ない。仕事に支障が出ないよう十分な睡眠時間を確保することを最優先にしてしまうから布団の中に潜り込んで念仏のように「もうやだ……辞めたい……行きたくない……行きたくない……嫌だ……ンオォォォォォォン(´;ω;`)」とブツブツ唱えるのが日課になってしまった。

 休日だけでもせめて有意義に過ごそう、と思っても労働は必ず脳内のどこかに存在している。日常が労働に支配されているのだ。働いている時は休みのことを考え、休んでいる時は仕事のことを考えている。

 

 一体どうすればこの状況を改善出来るというのだろう。どうしてこんなに会社に行きたくないのだろうか。よくよく考えてみると、共に働く人間が全て人懐っこいバニーガール(露出面積が広い)だったらむしろ俄然仕事に行くし朝もいつもより2時間早く起きて万全なコンディションで出社するに違いない。ということは結局人間関係が良好なら労働は苦ではないのだ。もっと厳密に言うならこの国の労働環境が最悪だとか宣われているのは仕事場にバニーガールやナース服のコスプレをした人懐っこい女性がいないからであり、新聞などで「人手不足の現状」とか書かれるのも当然なのである。新聞はもっと具体的に「労働意欲が沸いてくるような煽情的な衣類を着衣した女性が不足している」と書くべきなのだ、さもなくば国家が崩壊するかもしれないのに一体何を勿体ぶっているのだろう

 

 

 そんな幻想への憧憬を抱きつつ、ボーッと日常をやり過ごしていたのだが、この間実家の自分の部屋もとい精神年齢6才部屋でおじさんの如くテレビを見ていると漫才師の頂点を決める大会『M-1グランプリ』が放送されていた。僕はお笑いが熱烈に好きなタチではないので、ほんの興味本位で見るぐらいの感覚で見ていたのだが、途中で『ぺこぱ』が出てきてからは見る目が変わった。全てを否定せず肯定するスタイルの芸風、これは斬新だ。見ていると謎の勇気と自信が湧いてくる。この肯定的なスタンスはまさしく今の時代に求められていたものだ。実際に『ぺこぱ』の漫才は令和の新しい形の漫才として世間に大きな反響を呼んだ。

 何故『ぺこぱ』の肯定的なツッコミが心地よく感じたのかを考えてみたが、やっぱり今の時代はストレスフルで全体的に不寛容だからだろう。昔に比べて制約が多くなった今はメディア上で芸能人が何かを発信するにもかなり気を遣わなければならなくなった。ジェンダー問題とか人種問題とかその他諸々のシリアスな問題について言及する時には必ず人間の尊厳を意識して発言しなければならない。少しでも差別意識の垣間見える発言がされるとここぞとばかりに糾弾される。無論それは正しいことなのだろう。ただ、あまりにもそういった傾向が強いと、何か能動的に人間の汚点を見つけ出して晒そうとする意地汚い魂胆も世の中に存在しているのではないかという気がしてくる。これでは言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン状態の人間が大量発生してしまうし、そうした抑圧は過大なストレスを発生させてしまう。

 

 個人的な見解として、今の時代は世相的に「弱きを助け強きを挫く」という精神が強くなっていっているように思う。社会的に力を持たない人達は尊重されて然るべきだし、無力な人間を迫害してきた人間は弾劾されるべき、そういう世の中だ。だから悪しき人間を弾劾すべきなのは当然だが、そういった傾向が強まってきているからこそ、「本当にそこまで非難する必要ある?」という人間まで非難されてしまうことが起こり得る本来なら弱いとか強いとかそういう区分を排除して、ただ人類はみな平等なのだという通念を浸透させるのが正しい道だと僕は思うが、その平等のバランスが偏りがちなのだ。

 

 実際に『M-1グランプリ』で『ぺこぱ』の漫才を見た読者諸兄ならわかるだろうが、漫才の中でボケの方はツッコミの人間をタクシーで轢きそうになったり、運転してる間突然休息を取ったりと一見大衆からは非難されがちな行動を取っている。だが、『ぺこぱ』のツッコミはそれらの非礼とも言える行為を寛容に受け止め、あくまで自身の方に非があるのであり、相手の行為は尊重するべきなのだという姿勢を一貫して崩さない。

 つまり『ぺこぱ』は前述した『尊重されるべき弱者』と『非難されるべき強者』の『強者』の方にも優しいのである。だから平等のバランスが偏りがちな現代において、『ぺこぱ』は上手い具合に人間関係を円滑にさせる力を持っている。

 

 

 良好な人間関係を築くには『ぺこぱ』のように相手を尊重することが必要不可欠だ。職場にバニーガールがいなくてもいい、「何故あなたは胸元が過剰に開いたナース服を着たOLではないのですか?」という問責をしなくてもいい。ありのままの相手を受容することが重要だ。

 

 

 

 しかし本音を言えば嫌な人は嫌だしありのままの人間性を受容出来ない時だってある。どのコミュニティに所属していても苦手な人がいるのは仕方ない。

 ならどうすればいいか、それはそのまま人間関係の不和を我慢するか、環境を変えるかの二択しかない。やはり正解は転職サイトの中にあるのだ。結局「今の仕事を辞めたい」というネガティブなメンタリティは変わらないのかよ。でもそれはそれでいい

 

 よいお年を!

 

~Merry Christmas Mr.Lawrence~

 

※このブログでは常時読者の皆様からの『何の不和もなく円満に退職出来る方法』をコメント欄にて募集しております。