性と時勢

 

 ベルギーで9歳の少年が大学を卒業しようとしているというのに日本では23歳の青年が未だに童貞を卒業出来ていない。ベルギーの少年が神童と称されるならこちらは神の領域に到達した童貞、そうつまり意味は違えど神童と言っても間違いではないのだ。これは深刻な社会問題であり、早急にメディアに取り上げられて然るべき議題である。

 

 

 

 昨今は何かと窮屈な世の中になってしまった。男女で区別して何かを語ろうとするとジェンダー、性差別、セックスレスドメスティックバイオレンス、ドンタコス等々、あらゆる観点から批判を唱える輩が後を絶たない。「男は~」とか「女は~」から始まる文言で揉め事が頻発するのを見るとそもそも人間に性別が与えられたことが不幸な出来事のように思えてくる。

 

 

 23歳交際経験皆無"神童"の身から言わせてもらえば異性にある種の憧憬を抱く以上、そこから生じる問題にも責任を持たなければならない。そもそもどうして男性と女性の性差で議論がとめどなく繰り返されるかというと人間を男性と女性というカテゴリーで分類するからだ。男性と女性という区分があるからこそ男女の恋愛という概念が成立するのであり、それと同時に男性女性という区分意識が発生する。この区分意識が発生する以上はそこから派生する男女の差異意識は回避不可能に近い。要するに男性優位社会だとかフェミニストがどうだとかいう議論が発生するには男性女性がはっきり区別されていることが前提であり、その区別性をまるごと取っ払わないことにはこういったジェンダー的社会問題に終止符は打てないのである。しかし至極当然ながら人間は先天的に男であることや女であることを決定づけられているのであり、人間がそういった生物学的構造を持った生き物である以上はこの性差問題と表裏一体なのである。男女のロマンスを甘美なものとして認めるのならば、それに付随する労苦を覚悟しなければならない。ジャンクフードの美味さを追求しようとするならば、その素材に人工的な欠陥を認めなければならないのと同じことだ。人生は必ず天秤のように釣り合いが取れるようになっていなければならないというのが私の持論である。恋愛をするなら神が人間を男女という性で二分化したことに感謝し、それによって必然的に発生する男女間の諍いも受容しろということだ。結婚に夢を見るのなら家事の分担や出産時の立会いの有無で悶着が起こることを覚悟すべきなのだ。異性に対して一方的な憧憬を抱くのは極めて独善的だ。得をするためには何かしら損をしなければならないのが人生の常なのだから。『進撃の巨人』でも「何かを変えることができるのは大事なものを捨てることが出来る人」みたいな台詞があったけれど、局面をより良い方向へ転換させるには何かを失うことが必要不可欠なのだ。

 

 何かを捨て、大事なものが消えてしまうのが怖くて代わり映えのしない人生を歩んできてしまったとするならまだ救いはある。これから何かを変える決断をすれば良いだけだ。ただ、こちらの手元には捨てることで人生が著しく変わるような物を生憎持ち合わせていない。というか捨てることで人生が著しく好転するような物ってなんだ?プライドか?羞恥心?それとも違法薬物?違法薬物の場合は捨てることで好転すると言うより暗転しないような状態にもっていけると言うべきか。もう疲れた。何かを捨てないままここまで来てしまったからには、これから先の人生はスケジュールの空いている代役を立ててもらうしかない。肉体は健全な社会に存在していても精神はもう収容所の中なのだ。この忌まわしき俗世を生きるのにはもうウンザリだ。一足先にこの世界から足を洗わせてもらう。何か現世で言い残したことはありますかって?別に。

 

 

 

 こんなことを延々と考えているから世にも卑屈な"神童"が誕生してしまう羽目になるのだろう。日本はベルギーに恥晒しと揶揄される前に何とかした方がいい。純粋な異国の天才少年に対抗して究極に社会性の無い童貞がインターネットで"神童"と自称する様はまさに地獄絵図だ。そのうち秘密裏に『人妻になった壇蜜の私生活を垣間見る会』を自主開催しかねない。そうなったら首相が「中止!いややっぱり壇蜜のプライベートヌード見たいから開催!この国の威厳を、取り戻す!」とか言い始めていよいよ国家の終焉の足音が近づいてくる。もうこの国が衰退の一途を辿っていると言われても文句は言えまい。

 

 以上、笑いたくても笑えなくなってしまった男の無責任なタピオカ感想記事でした。

 

 

 

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