暗中模索

 時間とは恐ろしいものだ。気が付いた時にはもう既に失われている。一旦失ったらもう取り返すことは出来ない。当たり前のことなのに、そんな現実が重くのしかかってくる。

 

 僕は新入社員研修中に「何故この会社を選んだのか」、「これが本当に自分のやりたい仕事なのか」、という初歩的な疑念を何回も抱いていた。自分の選択が正しかったのか、間違っていたのか。こんな悩みを抱いてしまうということは、僕の選択は間違っていたのかもしれない。疑念は次第に後悔に変わり、さらに怒りへと変わってくる。過去の自分への怒りだ。去年の僕は慎重さ、真剣さが欠けていたのだろうし、自分の選択の重要性も理解出来ず、その選択の結果として自分がどうなっていくのかを想像する力も著しく欠如していた。

 

 去年、就職活動時期。僕の周りでは、内定が決まると残りのモラトリアム期間を少しでも長く謳歌するためにさっさと就活を終える人間がそれなりの数いた。彼らの姿を見ると、自分はしっかり真剣に企業を選ぼう、という気が湧いてきた。人生の大半の時間をその企業で過ごす可能性があるのだから、じっくり時間をかけて就職する会社を決めなくては駄目だ。そんな思いを胸に就職活動を行っていた僕だが、活動を進めるにつれて、目先に暗雲が立ち込めてきた。内々定がいつまで経っても貰えないという状況に陥ってしまったのだ。会社を選択する以前に、まず選択肢が用意されていない。これでは真剣に企業を選ぶにも選びようがない。僕はその時名だたる大手企業ばかりにエントリーしていたので、少し理想が高すぎたかと思い改め、自分の理想とは少しかけ離れているような企業にもエントリーし始めた。行きたい企業に100%行ける訳ではないという当たり前の現実を受け止めるには、多少の妥協も必要だった。そうして就職活動を続け、6月下旬頃にはなんとか2社の内々定を獲得した。しかし、僕は心からその2社の会社で働きたかったかというと、決してそんなことはなく、当初志望していた業界とはほぼ無縁の業界の企業ということもあり、素直に内々定が取れたことを喜べなかった。就職活動を続けるべきか。止めるべきか。はたまた就職浪人するか、という岐路に立たされ、僕はかなり悩んだ。もともと優柔不断な性格な僕は、その決断をなかなか下すことが出来なかった。浪人して公務員試験を受けようかということも考えたし、そのまま就職して転職すればいい、という考え方もあった。結局僕は悩みぬいた末、4月から就職をすることにした。もし内々定を放棄して来年就職活動をした場合に、また内々定が貰えるとは限らない。新卒の状態、しかも売り手市場と言われていた状況で内々定を獲得するのに苦労した人間が、来年内々定を貰える確率はかなり低い気がしたのだ。一旦就職して、その後公務員試験を受けるなり、転職をするなりすればいい。今思い返せば、このあたりから自分の将来を思案することについての真剣さが薄れかけていたのかもしれない。そうして僕は内々定の出た2社のうち比較的良さげな1社の内定式に出席し、残りの大学生活をふわふわした感覚で過ごした。

 

 あの時、もっとよく考えておけば。そう思うのは自分の選択の結果を目の当たりにした時だけだ。いつだって、気付いた時には遅いのだ。大学生の頃、腐るほど耳に入る「今のうちに遊んでおけ」だの「時間があるのは学生の時だけだぞ」という言葉は、社会人としての未来を経験していない本人にとっては耳の奥底まで響かない。そんなの沢山の大人が言うことだから「はいはいわかってますよ」と聞き流してしまう。実際に将来自分が社会人として働き、時間のない日々の中で仕事に追われる日常を想像し、今のうちに時間を有効活用しようと本気で奮起出来る人間はどれくらいいるのだろうか。僕は将来を鮮明に、詳細に想像することが出来なかった。とりあえず就職し、空いた時間で改めて人生設計を練り直そうなどという楽観的な気持ちで時間を無為にしてしまった。実際に就職し、会社に入って、自分の精神面がどうなって、周囲の人間関係がどうなって、スケジュールが具体的にどうなって、会社にどれぐらいの時間を取られるのか等ということを想像することが出来なかったのだ。

 「就職活動は内定をもらうまでがゴールじゃない」と、どこかの企業の説明会で人事も言っていたが、その通りかもしれないな、と感じる。最初聞いた時は「遠足は家に帰るまでが遠足です!最後まで気を付けて!」みたいな言葉だなと思って聞き流してしまったが、就職活動のゴールは実際に自分の行く企業を決めた後、その企業で働いている自分だとか、周囲の環境だとか、将来的に理想とする人生をその企業の労働形態で満足に送ることが出来るかどうかだとかを事細かに想像して考えて結論を出すことなのかもしれない。

 なら、僕は就職活動を途中で放棄してしまったということになりはしないだろうか。今まで自分の感情を整理するつもりでこの文章を書いてきたが、やはり後悔の念は拭えない。

 

 とりあえず、今は環境の変化についていけていないだけかもしれないと思うことにする。徐々に新しい環境に適応していき、少しは将来を真剣に考え直す余裕が持てるようになるかもしれない。そんな薄っぺらな希望的観測をしながら生きるとしよう。

 ただ、この先本当に辛くなって自分の感情の捌け口が無くなってしまいそうな時のために、緊急避難経路的な抜け道は用意しておきたい。その抜け道というのが具体的に何なのか、どこに繋がっているべきなのかは、自分でもよくわからないが。