社会的弱者の断末魔

 

 私は2019卒なので、就活の時期も差し迫っているということで朝井リョウの『何者』を読んでみた。以下ネタバレを含むので読んでない人はご注意を。

 

 この小説は現代の若者達における就職活動の実態をリアルに描き出したものである。主人公とその囲いは就職活動に向けて共に様々な対策を練っていくが、それぞれの方向性の違いや利用しているSNS上での発言などから、互いの間に軋轢が生じていってしまう。この小説は現代の闇とでもいうようなマイナスの側面をそれとなく映し出した作品だと言える。

 

 この作品において、まず着目すべきは主人公のスタンスだ。物語中で主人公は終始俯瞰的な立場を保持しており、周囲の人間が就職活動の一環としてインターンシップや海外留学など多岐にわたる行動を取っているのを観察的に俯瞰して過ごしている。故に読者も主人公に感情移入しやすく読めるのだが(私も心の奥底には就活に対して張り切りすぎている人間を冷めた目で見るような感情がないとは言えなかったから)、ラストのシーンで主人公は内心で小馬鹿にしていた意識の高いキャラクターから「終始他人の就職活動を傍観しているだけでお前自身は何の成果も出してないじゃないか、あぁんコラ」と詰問されてしまう。冷静に他人の観察をしていたつもりの主人公が一番痛々しい存在だったという悲しいオチである。

 この内容から、朝井リョウは「まずは現状から目を背けず自分自身と向き合うべきだ」という旨のことを読者に伝えたかったのだと思う。自分が如何に矮小で汚点にまみれた存在であろうとも、恐れずに現実と向き合い行動することが肝要であるということだ。就職活動に対して必死で行動してる人を冷めた目で見てるというのは結局、自分が就職活動をしたくないと思っている現実逃避欲求の裏返しなんじゃないかと感じた。感じてしまった。

 

 また、この作品ではSNSが頻繁に取り上げられている。登場人物はそれぞれの近況をSNSにアップしていくのだが、主人公の働くバイト先での先輩だけはSNSを利用していない。この物語内において、ほとんどの登場人物がSNSを介在させた人間関係を構築している。そのため、登場人物のSNS上での発言に対して主人公が難色を示したり批判的な意見を述べたりするのだが、そうした主人公に例のバイト先の先輩が「SNSでの発言がその人の全てじゃない」というような内容の説教を垂れる。SNSで発信するのはその人間のほんの一部であり、どのような言葉を選択したかより、どのような言葉が選択されなかったのかを想像するのが重要だというのである。これはとどのつまりSNS上じゃその人の本音、本心を推し量ることはほぼ不可能だってことなんじゃないかな。まぁ当たり前ではあるが、SNS上での発言だけではその人の本当の思考、発言の真意は本人以外にはわからない。このことを鑑みるに現代ではSNSに虚偽の発言が雑多と溢れかえっているということが汲み取れる。これはネットリテラシー等の問題と関連している気がするがとりあえず今は省略させてもらう。結局何が言いたいかというと、SNS上だけで完全な意思疎通は不可能であり、SNS上だけでコミュニケーションが完結してしまうのは希薄な人間関係だということだ。SNS上での発言から予測されるキャラクター像と実際に会ってみて感じるリアルなキャラクターとの間にギャップが生じるのはよくあることである。我々はSNSに惑わされることなく、ネット上での発言や現実での発言、その人の人となりや行動などの全ての要素を総合して初めてその人の本質に触れることが可能になるのだろう。

 

 この本を読み終わって、自分の将来の就活に対する不安で心が鉛のように重くなった。しかし、このまま現実から逃避し自ら行動を起こさず俯瞰的な生活を続ければ、今よりもっと堕落した存在になってしまうのは確実だろう。闇金ウシジマ君に出てくる滅茶苦茶お金を搾取される人のようにならないためにも一念発起して人生逆転したい。

 

 結論、就活したくないですね。おしまい。

 

See you again