憂慮

 最近精神的に参っちゃうことがよくあるので(将来に対する漠然な不安とか就活に対する不安とかが原因で)、寝る前に癒しを求めて声優のラジオを聴くことが多かった。あらかじめ断っておくが声優のラジオを聴くことは個人の自由なので決して悪いことではない。決して悪いことではないのだが徐々に声優のラジオを聴くのが憚られるようになってきた。

 

 というのも、この間、某掲示板で「声優のラジオ聴いてる奴www」みたいなスレがあったから見てみたら「ノリが寒い」「聞くに堪えない」「タイトルコールが寒くて受け付けない」等の否定的な意見ばっかりだった。そう言われてみるとそういう気がしてきて、俯瞰的に声優のラジオを聴いているキモオタクな自分の像が認識出来るようになってきた。某掲示板というのはそういう洗脳された状況から現実に引き戻すという意義があるのかもしれない。実際に人と話をする時に「声優のラジオ聴いてるんだけど~」とか言うと相手側は「(えっ、キモ…)」と思っても大抵気を遣って「へぇ~そうなんだ(キモ…)」と返してくれるだろう。そうすると「声優のラジオを聴いているキモい自分」というのに気付けなくなる。その反面、某掲示板は誹謗中傷の温床みたいなところがあるから、「へぇ~そうなんだ(キモ…)」の(キモ…)の部分を「何故キモいと思うのか」という要因を踏まえながら赤裸々に語ってくれる。だから我々は「あっ俺ってキモい奴だったのか…」と自覚出来るようになるのである。某掲示板は日頃思っても口には出せないことを書くためのツールとして存在している。それはSNSでも同じだけど、匿名性が高い分某掲示板の方がそういう陰口じみた書き込みは盛んになりやすい。人前で発散させられないストレスがある限り、某掲示板はその需要の下に存続する。

 

 基本的に僕は人の陰口を言うのが好きじゃないし人の陰口を言う人もあんまり好きじゃないんだけど(これ自体が陰口なのかもしれないが)、やっぱり誰にだって陰口を言いたくなる時はある。陰口の根源にあるものは多分嫌悪感だ。明確な理由が無くても、嫌悪感が先行して陰口を言ってしまう時もあるのではないだろうか。これはもうどうしようもない。無くそうと思って無くせるモンじゃないと思う。でも、嫌悪感を抱いてもそれを示さないで胸の内にしまっておくことは出来る。ネットにも愚痴を書かず、ただその嫌悪感を自分でも気付かないぐらい心の奥深くまで隠匿出来る人間こそが本当に偉大なのだと思う。要は「そういう人もいる」と割り切れば良い。ありえんぐらい多様性を受容できる寛大な心、包容力、許容力を持った人が一人でも多くなればいいと思うし、そういう女性が彼女になってくれたら最高だと思う。まぁほとんどいないだろうけど(諦観)。

 偉そうに書いてきたけどこの瞬間にも自分が誰かに「顔がキモい」だの「声がキモい」だの非難されてる可能性があると思うと涙が出てくる。

 

 世界から紛争が無くなる日は遠い。