憤懣と提唱

 朝、電車に乗るといつもより乗客の数が少なかった。どうやら世間は盆休みであるらしい。僕は嘆息してしまった。自分が労働している瞬間に労働していない人間がいるという現実を如実に感じて気が滅入る。労働という概念を世界で最初に考案した人間は一体誰なのだろう。多分極端に真面目な人格だったに違いない。それでなかったら単純な人格破綻者である。まともな精神性を保持していれば働こうなんて絶対に考えない。今すぐタイムトラベルして労働という概念を産出した人間に「労働なんてするより家で永遠にスプラトゥーンやってた方がはるかに幸せな人生を送れますよ」と言いたい。まあその時代ゲーム機なんか無いだろうけど。というかそもそも僕はスプラトゥーンというゲームをやったことがないので結局机上の空論である。

 ともかく労働は嫌なものだ。しかし万人にとって労働が嫌なものであるという訳ではない。やりたくないことをやるのが仕事だと割り切らなければやっていけないような人間もいれば、その傍らでアドレナリンを放出しまくりながらポジティブに仕事に取り組む人間もいる。後者になれればいいが前者になってしまうともう人生は永遠に下降していくジェットコースターのようなものである。気付けば20代、30代を虚心状態で駆け抜け、体感5分で40代を迎えてしまうのだ。そして自分でも気付かぬ内に婚期を逸し、肉体が朽ち果てるのが先か自意識が消滅するのが先か、という世にも恐ろしいゾンビの成れの果てが出来上がる。どうしてそんなことになってしまうのだろうか。運命は時に残酷すぎる。少しぐらい人生に希望を見出させてくれても良いではないか。だが悲しきかな、無情にも一度悪い方向へ転んだ人間が再び立ち上がるのには莫大なエネルギーと運が必要なのだ…。

 労働を一度でもネガティブに捉えたことのある人間は常に転落の危険性と隣り合わせだ。社会人というものは労働を通じて社会と接している。生きる日々が労働という概念に包容されているようなものだ。人生におけるこの貴重で有限な時間を捧ぐ価値のあることを自分はしているのだろうか…?と懐疑を抱き始めたらいよいよ精神の崩落の始まりである。有給休暇、ボーナス、福利厚生、退職金、職業選択の自由、様々な言葉が脳裏をかすめていく。…職業選択の自由……。そうだ、日本人には職業選択の自由憲法で保障されているではないか…。今すぐ辞職して映画館の座席にこぼされてるポップコーンを清掃する仕事に転職しよう…。いや、金融機関付近で挙動の怪しい人間を観察して警察に密告する仕事でもいいな…。…よくないな……。というか無理だ。

 職業選択の自由があるなら職業創出の自由があってもいいのではないだろうかと世に問いたい。考えてみればYoutuberなんかも職業として最近創出されたようなものではないのか。だったら自分も何か職業を創出してその職に就くことも非現実的な話ではないのかもしれない。

 しかし今本当に直視しなければいけないのはこの現実、この現状である。就職前において考えてみれば確かに職業選択の自由という面での自由は大いに保障されていた。だが就職後においてはその自由の幅がぐんと狭まってしまったように感じる。職業選択の自由とは職業変更の自由にも換言出来ないのか。どうも僕は一回所属した組織から脱出するという行為が苦手だ。所属した組織を離脱するということが軟弱な印象を与えるのではないかと変に強がってしまう。だから所属した組織を離脱するという行為を肯定的に認可してくれるような空気が必要なのだ。僕は中学高校大学とずっと運動部に所属していたけど、やはり辞めるという行為はあまり肯定的に見られなかった。海外がどうなのかは知らないが日本はどうもそういうことに対する非難の視線が強すぎる気がする。日本は、というのは広範な言い方かもしれないのであくまで僕の周囲は、と書いた方が正しいだろうか。ただ、実際にそのような空気が存在していることは歴然たる事実なのだ。辞めるということは短期的に見れば単なるストップに過ぎないかもしれないが、人生という長期的なスパンで考えればリセットなのだ。時計が不調をきたした時はリセットボタンを押せば再び新しい時を刻むようになる、それと同じだ。石につまずいたら石をどかして体勢を立て直せばいい、それだけの話なのだ。石をどかせない環境に身を置いていると永遠に前進出来ない。僕が言いたいのはそういうことだ(なんだか冗長になってきたので無理矢理収束させた)。

 現状を改革する行動は労力を伴う。何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないのだ。決断には勇気が必要だ。

 ただ、僕は今の会社でお盆休み前に10連休を与えられていたのでこの出血サービス精神を垣間見せる会社を離れていいのだろうかと少し優柔不断にならざるを得ない。

 冒頭で愚痴を垂れてるのに結局10日間も休んでたんじゃねえかよと呆れられそうになったところで今回の記事は終わりとする。

 

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